五十嵐太郎さんには数ヶ月前に仙台でお会いしました。初対面でしたがその時に、建築あそびの講師お願いしました、・・快諾いただき、今日開くことができました・・初対面でしたがWEB上で互いに知っていたので、自己紹介など不要でした。WEBを日々生活の一部としてる人と人の良さだとおもいました
以下 8日の行動を追いながらの ぺージとしてます
講話開始 新宗教と建築へ
その2天理教1 その3 天理教 2 その4 天理教3・ほんみち
その5 休憩 その6 金光教 その7 大本教
そ
の8その他 1 その9 その他 2 番外編
五十嵐太郎さんと建築あそび BOX 見学編
五十嵐太郎さんは奥さんの
菅野裕子さんと一緒に来てくれました。菅野裕子さんは横浜国立大学で建築学教室の助手をされています。早起きして新幹線で福島へ・・11時18分に福島駅に着いていました。
私遅れちゃう・・。五十嵐さんは独身だとばかり・・思いこんでたので、とても嬉しい限りでした。建築は身近な人達と楽しまなくて、だれと楽しむのかねーと・・私は思うのです。
奥さんが一緒だったり、彼女や彼氏と来てくれるのが嬉しいんだね・ホンマに感謝いたします太郎さん。遠いところよく来て頂きました。
駅のホールには掲示板に時々書いてくれてる
山本久美子さんも一緒に着いてた・・留守電のみの交信だったので安心しました。久美子さんは
遙々料理作りを手伝いに来てくれたのです・・いやーどうもす・・
いつものように我が家に入る前に記念デジカメ。
家の中では
小林さん、
野尻さん、
my妻さんが食べ物をこしらえてます。
駆けつけ3杯ということで五十嵐さん菅野さん久美子さんに純米大吟醸地酒のアレアレを呑んでいただきます。裕子さん酒を飲むと悪酔いするぅ〜・・ですがね、my超うま地酒は悪酔いしませんから・・グイグイと・・
昼飯のうどんを食べてたら・・郡山から学生さん4人着きまして一緒にうどんを食べる。キノコ煮込みうどんだね今日は。
さていよいよ
千万家に向けて出発です。午前中は事故で道が渋滞していた・・午後は普通に走れるので安心しました。ブブガタブンブン狭い道をmy車はしる。もうじき20万キロを走破。7人乗り。・・千万家に着く
東側の道拡張がようやく開始されてるようです。僅か2m程の道傍の
木々が倒されている。これが完成したら、
千万家は目立つなーいいね・・。天気がいいので北側にあるゲートボール場ではお年寄りがゲームをしています。
千万家は造成工事を発注者がおこないました。60センチほど土盛りしてある。建物が完成した後、敷地周囲を大きな石で囲んでありました。基
壇の上にチョイト照れくさそうかな・・でも
干し柿も
洗濯物もあるし、ホホ(犬)も大きくなっていた。
植木や雨水の流れも巧いこと処理されているね。西端にある回廊は絶好の干し柿造りの場所とかで、隣のおばあさんが
干し柿をつるしている。
お子さんが小さいので間貸ししてるのかと思って聞いてみた。彼はすっかり自分の部屋と思い、整理整頓に余念がないとのこと。小学2年生なのに、お父さんより広くて天井が高い部屋を手に入れてました。 お父さんは隙間を改良して自分の隠れ部屋をちゃんと作ってましたよ。良いね。
ドンドン家が成長してるよ。ま・・○は3つしかないので千万になるにはまだ、○4棟作る必要があるんだ。そこまでは手が付けられてないんですが、将来が楽しみな千万家です。みんな・・お茶をふるまってもらい・・なごんでる。
1時間ほど・・先を急ぎます。固まって建ってるBOX14とBOX4の道をチョイと通過しまして・・どちらも周りの木々が葉を落してますので建物がよく見えます。
いそぐ急ぐして
BOX13へ。おばあちゃん(85才)が留守番ですこころよく案内してくれます。
L型平面が徐々に小さくなりながら、ぐるぐると
階段を取り囲み上昇する建築なのでどうしても、最上階まで登るんだね。3.5階にある小さな和室(L字形変形3畳)でノンビリ町を眺めているのがいいんだね。1階に下りてき、バアチャンと会話して茶をいただきます。
BOX12へ、今日はbox12妻は今日の料理の手伝いに・・box12夫は仕事でと留守です。鍵をお借りしていたので、ノンビリ眺めます。寒くなってきたので2階の手摺りと3階の出入り用開口部に
雪囲いのシートをスッポリかぶせます。学生さんに手伝っていただきました。
BOX10へ。ご夫妻は相変わらず元気ですねー。
モノと元気が部屋から溢れてます。2階のギャラリーに干してある豆と記念写真の組み合わせがいいです。ほんのりしてます。作物を干すのに、このギャラリーはとてもいいんだと奥さん話す。
梅干し干していたの思いだしました。あちこち1/3ほど見学したましたが、4時過ぎてしまいあたりは暗くなる。。ここにも干し柿がつるしてあるのがいなーBOXと干し柿はよく似合う。
暗くなってたきたので・・さー、我が家へ戻りましょう。
戻ってみると、
田中浩也さんがいます、
my長男と飯を食っている。みんな元気そうです
講演の準備を開始・記録用のテープ1本しかない、慌てて買いに行く。2本買いもどると
仙台4人組が到着してました。これで全集合です。
おにぎりで腹ごしらえをして・・なにやら
みんな腹が空いてる様子なんだなーおにぎりがつがつ喰うよなー・・、宴会後にするかと迷う・・でも講演開始・・・外は
小雪がちらつき寒いです
五十嵐太郎さんの「新宗教と建築」の話いよいよです
my長男(d)記録係ビデオの使い方・・四苦八苦してる、おいしっかりしれくれよなー
d 分かった分かった (笑)
s 電気消してくれる・・スイッチあっち・・そこそこ後ろ
会場 え・・何処
s 俺ヤルからいい・・撮れてるも-
d 入ってる、あぁはいってる・・ん
s これ押しながら・・こうやるといい
スライドの機械を説明してる
d 中のカウンターが回っていればいいんでしょう、1・2・3・4て
s そうそう・・俺がやる
スライドの操作のこと話あってる
i いやこれはぜんぜん・・手で・・大丈夫です
s いいですか・・カメラやってよ・・
my長男に指示 はい始まります。拍手
会場 パチパチパチ・・・プレファブ建築が映し出されている
五十嵐です。今日お話するのは新宗教と建築の話で、あと10日ほどで
講談社現代新書から「新宗教と巨大建築」という本を出すんですけども。そこで書いている内容と、だいたい重複しております。
それでですね、まず最初写っているの・・これは
オウム真理教のサティアンです。現在この建物は、
合法的に解体されてしまって存在していません。跡形もなく消えてます。
サリン製造された第7サティアンの写真です。
で、何で新宗教の建築のことを調べようかと思ったのにいくつか理由が有るんですけど、一つは95年に
オウム真理教の地下鉄サリン事件が起きてですね、・
テレビで毎日のようにオウム報道が行われたときに、必ず嫌というぐらいに目にしたと思いますが・・彼らの宗教施設である・・・サティアンがテレビに大きく映ったんですよね。
このときに建築界の中でも、「
サティアンて一体なんだ」という話はいろいろ出たんですけど。だいたいみんなが言っていたことは・・サティアンが・・出てきてですね・・これみ見るからに、
僕らが普通に知っている宗教施設ではない。まるで工場のようだ、プレファブの小屋のようだとっていうふうにみんな思ったと思うんですけれども。
そういう言い方をしてですね・・「
とうとう宗教が建築を捨てたんではないか」、ということをいろんな人が言いました。
で・・建築史・建築の歴史ってだいたいほとんど、ズーと宗教がパトロンで、建築史イコール・・キリスト教会史、お寺の歴史っていうふうに、ほとんど宗教施設が出るという意味では確かにそういう言い方も可能だと思うんですが・・、
でも、みんながそういったときにですねー・・・(微笑む)・・ホントにこれを見てですね、ホントにこれを見てですね
宗教が建築を捨てたと、そこまで・・言ってしまって良いんだろうか、という疑問から、実は研究が始まっています。
なぜかというとですね。オーム真理教っていうのは、えーと。発足したのは80年代はじめで、この
テロ事件が起きたときにまだ10数年しか歴史が無いんですよね。
で、たった13年か14年ぐらいしか活動してない教団がはたして、・・「
建築らしい建築を完成させることが可能なんだろうかと」いうのが逆に・・普通に考えると・・あるとおもうんですよね
極端かもしれないですけど・・分かりやすい例でいうと。キリスト教なんていうのは、発足したときにはですね・・、ローマの中の新宗教なわけで。教祖であるイエスは、殉教・殺されてしまうわけで・・。
ローマ帝国のなかで
キリスト教が公認されるまで300年ぐらいかかってんですね。313年に公認されるんですけど。それまで300年間地上でちゃんとした教会というのは作っていません・・文字通り地下活動していて、裕福な信者の家で隠れて礼拝をしたり・・地下に
カタコンベといわれるような宗教施設を作ってですね。
4世紀になってはじめて堂々と地上で教会を造れるようになったときも、オリジナリティーの高い建築をつくったわけではなくって、ローマ時代にある
バシリカっていうタイプのホール。
人が集まるホールの建築を教会の形にしたんで・・。
例えばキリスト教の建築といって直ぐ想像するのはゴシックの大聖堂だと思うんですけど。
ゴシックの大聖堂ができるのは12世紀以降なので・・千年以上かかっているんですよね。
キリスト教ですらそれぐらいかかっているし・・ほかにイスラム教に関してもやっぱり最初から有ったワケではなくて・・、
どんな教団も最初はろくな建物がないんじゃないかっていう、普通に考えればそうなんじゃないかというところから始まっていて・・じゃー
日本の近代の・・もう少し新しい過去を調べようかなー・・と思ったのが切っ掛けです。
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